前回の記事で、

次男と担任の先生との相性が悪いのでないか、という考察をした。

その中で、(というかタイトルで)

『担任ガチャ』という、

良くない言葉を使ってしまったことを

ここに深く反省します。

 

誰に言われたわけでもないが、

自分で言葉選びを間違えたなと反省。

前提として、全ての教員のみなさまが頑張ってくださっている

息子との相性という問題で語ったが、

大前提、

全ての教員の方が子どもたちの未来を考えて

教育現場に立ってくださっていることに、まず感謝すべきだった。

 

その感謝が浅かったことが原因となり、言葉選びを間違えたのだと、自分自身深く反省している。

 

教育というものを志した先生方全員が、

子どもたちに未来を歩む力をつけてくださっていることは紛れもない事実。

本当に申し訳ないと思っている。

今回のケースで感じたこと

謝罪と反省はここまでにして、

今回の件で感じたこと(学び)にフォーカスしたい。

結論付けるには早い場合もある

まず、

「○○だから○○」

という結論には、それに至るプロセスに落とし穴がある。

そこに本当に因果関係があるのか?

結論付けるにはもっと慎重な情報収集と考察が必要だ。

仮説としてなら良いが、結論付けるには早すぎたようだ。

 

今回の件で言うと、

次男が自分の考えに基づいて書いた漢字の宿題に

担任の先生から赤ペンされていた。

そこに納得がいかずに、朝泣いていた。

 

赤ペンでの指摘通りに訂正した上で、

「これで先生には見やすくなるね」と

嫌味ともとれる言動があった。

 

今までは漢字を辞書で調べるほど好きだったのに、

最近は宿題を毛嫌いしている印象がある。

辞書も調べなくなった。

 

仮説を立てる

「○○なのは○○だから」

結論ではなく、これはあくまで仮説。

 

そう考えると、

怒りや不安の感情も一歩引いてみることができる。

 

「もしかしたら関連はないのかもしれない」

「仮に○○だから○○と考えたらどうだろう。」

 

そんな、論理的思考に基づいて物事を考える余白が得られるかもしれない。

 

今回の場合、

実際に学校に行って先生をお見かけした。

イメージと違い、笑顔で生徒と触れあっている様子があった。

 

次男は朝こそ泣いていたが、

帰りには友達と笑顔で歩いて帰ってきた。

自宅でも兄妹と笑顔でゲームをする様子が見られた。

 

親があれこれ心配し、口を挟む場面じゃないのかもしれない。

そう思い直した。

 

まとめ

「○○だから○○だ」

そう決めつけるには早い場合もある。

そんなときには、

一旦、(仮)をつけてみるのはどうだろう。

 

「私はあの人が嫌い!だってあの人は○○だから!」(仮)

ちょい待ち。

あの人は本当に○○?

あの人が○○じゃなければ私は嫌いじゃないの?

それとも…

 

ってね。

 

 

《私の場合》

私は、

子どもたちのために専業主夫をしている(仮)

 

え?ほんと?

 

私は、

私自身が後悔しないための選択として専業主夫をしている(結論)

 

うんうん。

 

 

どうですか?

「(仮)」

一度その案を寝かしてみる。

意外と使えそう。

 

 

以上です。