【不登校育児】中間学級で給食に毎日エンタメYouTubeが流れる環境の是非(食育的観点とは)
これは今日の不満と内省。
ただ、不満はあるが自分の意見が凝り固まっている可能性も考えて、
可能な限り、客観的に振り返ってみる。
《前提》
小5になる息子は2年から行きしぶりがあり3年から完全に不登校となった。
その後私が看護師を辞め、専業主夫となり、
息子は不定期だが、中間学級というクラスに私の付き添いありで行けるようになった。
今は給食のみ、毎日行っている。
《本題》
しかし最近気になることがある。
その中間学級で、毎日給食の時間にYouTubeのエンタメを流しているのだ。
(24時間〇〇チャレンジ!とか。中には、お金の無駄遣いや食料品の無駄遣いとも感じ取れるものもある)
わざわざ給食の時間にそれらを流すことに私は疑問を持っている。
担当の先生にも、今回その疑問をぶつけさせていただき、返答を得たのでまとめておきたい。
中間学級の前提情報として、
息子の他にも2〜3人の中間学級で過ごす子がいる。
《今日の会話》
私
『最近気になることがありまして』
先生
『なんでしょうか?』
私
『給食の時間にいつもYouTube動画を流すようになりましたよね?どんな目的で流しているのかを教えていただきたくて』
(補足)
学校では給食の放送が流れている。
他のクラスの生徒はその放送を聞きながら、プロジェクターで放送関連の画像が表示されている。
献立を紹介したり、関連したクイズを流したり、生徒会の連絡があったりする。
とても大切な放送だと思っている。
中間学級でも以前は他のクラス同様に、
給食の放送と画像が表示されていた。
しかし、現在はそれをかき消してまでYouTubeの人気チャンネルのエンタメを流している。
41歳の私にとっては、
ただやかましいだけのくだらない内容だが、
子どもたちにとっては刺激的で楽しいのだろう。
動画作りはプロなので、興味を引くためにコンテンツや編集などは非常に上手に作られている。
さすがだ。
だから流れていれば見入るのは当然。
つまり子どもに悪気はない。
先生
『こちらも、中間学級にきている生徒が安心して過ごせる環境づくりをしています。
静かな環境では落ち着いてご飯を食べられない子に合わせて動画をつけています』
私
『なるほど。そうかと思っておりました。中間学級ですものね。
私がこれを気になった経緯ですが、
我が家では食育の観点から
【食事中は食べ物に集中して、感謝して食べよう】
という意味も込めて『ながら食べ』はやめようと話しています。
なので、先生が何の目的でそうされているのかお聞きしたかったしだいです』
先生
『学校では多くの生徒がいます。みんなの意見を聞いていては成り立ちません。
ご家庭でそうされているのですよね?
だったらそれで良いんじゃないでしょうか?
学校に食育という教育的観点を持ち込まれても。。』
少し声を荒げられる。
えーっと、
少なくとも学校は教育の場ですよね?
勉強だけではなく、食事だって立派に教育の場ですよね?
学校という場に《教育的観点》を求めるのはご迷惑ですか?
話を聞いて、たしかに、
【他のクラスで食べられない子が、安心して食べられる環境を優先する】
という中間学級の理念は理解した。
しかし、学校の本来の目的は、やはり教育なのではないか。
私が古いのか?
《別視点で考えてみる》
とは言え、
やはりもう一方の視点からも
考えてみる。
自分の意見を客観視して、物事を俯瞰的に捉えるのは大切なことだからね。
私の考え方、価値観がそもそも古いのかもしれない。(と考えてみよう)
不登校の児童が多い昨今、
教育うんぬんよりも、安心して学校に来れることがまず第一なのかもしれない。
私が考えるハードルよりももっと低いハードルに対応しているのだろう。大切なことだ。
そう、
- 給食の時間に、
- 騒がしいエンタメYouTubeを流しながら、
- 食への関心も感謝も生み出さない時間
- を良しとする学校教育の環境づくりが。
《学校へ行く意味とは?》
毎日緊張しながらも、
一生懸命学校へ行って、
給食だけなのに『今日も疲れたー』と
帰ってきてすぐに横たわる息子を思うと、
YouTubeのエンタメを流す給食の時間のために、
そこまでして学校へ行くことに何の価値があるのか?
と考えてしまった。
《つづき》
先生
『ご家庭はご家庭。学校は学校。
食事の環境もいろいろある。
と、子どもも学べる、良い機会なのでは?』
…
そんな都合の良い解釈ありますか?
…まぁ、ここにあるのか。
いや、
やっぱり本来は逆じゃない?
学校はキッチリしてて、
その反動で家ではグダグダする、
みたいな。
学校でグダグダしてたら
家でどうしたら良いの?
今度は家が落ち着かなくなると思うんだが。
先生の理論にパニック!!
だから、本日はここまで。